後援会

23年の時を経て 埼玉にマックが帰ってきた!

かつて、大宮にはアルコール依存症者がアルコールなしの「生き方」を実践的に学び、健康的な人間へと変容していくプロセスを体験していく「生活の場」、ハーフウェイ・ハウス(大宮ハウス)がありました。 そこは、思い通りに生きていけなくなったアルコール依存症者が「飲まずにいきている」ことを実感し、生かされている現実を受け入れられる「場」でもありました。
大宮ハウスは、3年間の活動を経て発展的に解消し、荒川区東日暮里(三ノ輪地区)でデイケア施設「三ノ輪マック」として生まれ変わりました。その後、北区滝野川に移転し、名称を「みのわマック」と変更してからも、埼玉県内に住むアルコール依存症者にも門戸を開き、回復のきっかけを与え続けています。
「みのわ(三ノ輪)マック」で助かったアルコール依存症者たちは、まだ苦しんでいる埼玉の仲間の為に、回復の場を作る努力を続けてきました。そして、ついに「さいたまマック」に場所を貸してくださる理解ある大家さんにめぐり会いました。 21世紀最初の年、マックは原点となった大宮に帰ってきました。 「さいたまマック」はさいたま市東新井団地の一角に開所し、2001年6月から通所者の受け入れを開始し、回復のプログラムを提供しています。皆様の温かいご支援をお願いします。

支えてください

「さいたまマック」に一人、また一人と新しい仲間が集まりだし、概ね十数名の仲間たちが毎日プログラムを踏んでいます。皆様のあたたかい献金によって「さいたまマック」の運営が支えられ、活動を続けることができています。
「さいたまマック」は2002年度から公的な補助金(精神障害者小規模作業所運営補助金)を受けられるようになったものの、皆様の支えがあってはじめて、マックの運営を図っていく事ができます。後援会では「さいたまマック」がアルコール依存症者の希望の場としてその活動が軌道に乗れるよう安定した運営資金が集まることを願っております。皆様のご支援をお願いいたします。

募金の方法

会員の種類

A 会員 月額1口 2,000円以上 1口以上
B 法人会員 月額1口 10,000円以上 1口以上
C 賛同会員 任意の額

会員の種類

郵便振替 さいたまマック後援会 口座番号 00100-7-151361
銀行振込 さいたまマック後援会 埼玉りそな銀行 北浦和西口店(普)349-3933653
自動振替 申込用紙は、さいたまマックにあります

修了生の声 女性 20代 通所期間 13か月

かつて日常生活の家事一切…掃除、洗濯、食事作り、幼娘の世話まで、すべて母親に任せっきりの私でした。また、夫と幼娘が仲良く笑っている姿を見ると、無性に腹が立ち許せない気持ちにもなった私でした。
そんなある日、食べ吐きや酒だけでなく、風邪薬にまで手を出した時、夫は「もう俺は何のためにお前といるのか判らない。」と罵声を残し部屋を出て行きました。「終わった!」と思いました。一人取り残されたあの瞬間が無性に怖かった事は、今、思い出しただけでも息苦しくなってしまいます。

その時目に入った一枚のパンフレット。病院でもらった『さいたまマック』の案内でした。以前は「マックとは何もかも失って、行く所が無くなった人の行く場所、家族が居る私の行く場所では無い。」と、本気で思っていたものですが、「あそこに行けば何とかなるかなぁ~。」というか、「もうあそこに行くしかないなぁ~。」と、何の迷いも無く静かに思っている自分がいました。
そして気が付いたら、『さいたまマック』に電話をしていました。
電話に出た女性の職員さんに「明日から来なさい。」と言われ「えッ明日から!!」とびっくりしましたが、「こんな私でも行っていいのですか!?」と思ったのも事実でした。
結局、私も行く所が無く『さいたまマック』に逃げ込んだのですね(笑)
そして当日、恐る恐るホントにおっかなびっくり、やっとの思いで辿り着いた、『さいたまマック』。A.A.の仲間から「マックには怖い女の職員さんが居るよ。」と脅かされていましたから、本当に怖かった。
でも同年代の仲間も居てホッとしました。みんな楽そうに笑っているのには驚きました。

毎日々々の通所は辛かったけれど、そんな辛さよりも、一人でいるのが怖かった・・・そう、一人でいると食べてしまうのではないか、飲んでしまうのではないか、との不安で一杯だったのです。
『さいたまマック』の仲間の中が安心出来る居場所と判るのに、さほど時間はかかりませんでした。
『マックプログラム』が進むと『就労プログラム』や『家事プログラム』になります。子供を持つ私には、『家事プログラム』、つまり、掃除・洗濯・食事作り・そして育児、母に依存していた全ての事が突き付けられました。「ちゃんとやってます」とスタッフには誤魔化して返事していましたが、家ではやはり何もする気にはなりませんでした。

そして数日後、家の玄関掃除を行っている自分に気付きました。家事が出来ない私に、スタッフから「玄関の掃き掃除から始めましょう」と提案され、 嫌々ながら続けているうちに、自発的に掃除をする習慣が身に付いたのでした。掃除ができるようになったのです。これは、始めて自分の回復を感じることが出来た時だと思います。

そして、作り笑いではなく、人との関係の中で心から笑っている自分の姿に気付くことができました。笑顔と笑い声が自然に出てくるようになっていたのです。
また、自分で産んだ子供が憎かった時期もありましたが、仲間達と分かち合っていたからでしょうか、突然、「子供が可愛いい、かけがえの無い大切な宝なのだ」と、気付かされました。今は、3人の子供に恵まれてます。

振り返れば、人を大切にする、人の意見を聞く、ということが全く出来ていなかったんだと思います。そういったことに価値観を置けなかったんです。でも、こういう価値観を大事にしていくことが如何に大切だったか、改めて知りました。『価値観、優先順位』が変わらないと回復に繋がらないし、『生き方』を変えなければ、『お酒』を止め続けることは出来ないんですよね。

『夫が居て妻が居て娘が居る』どこにでもある平凡な家庭の中に足りなかったものは、『愛』でした。今でも月に2、3回は『マック』に遊びに行ってます。なんでも相談できる場所があるっていうのは心強いです。私にとっては、『A.A.』も『マック』も手放せない場所になっているなと思います。『マック』は私にとっての原点、『マック』に通い始めたあの日が今の私の始まり。この5年の間、本当にいろんな事があったけど、一つ一つ職員さんや仲間の力を借りながら乗り越えて来たから、今の幸せな生活がある・・・。この事を決して忘れていけないと思っています。私にとって『さいたまマック』は第二の故郷のような感じなので、これからも時々、遊びに行かせて頂きたいと思います。

修了生の声 男性 30代 通所期間 10か月

私とさいたまマックの出会いは、今から10年前、平成15年の夏でした。当時私は、鴻巣市にある病院に入院中で、その病院のケースワーカーさんから「さいたまマックに電話して、見学させてもらう日程をマックのスタッフと決めてください」といって、さいたまマックの電話番号を手渡されました。正に「有無を言わさず」状態だったと記憶しています。

その後、さいたまマックへ電話を入れて見学日を決め、当日は病院から一人出かけて行って、午後のミーティングに参加しました。ミーティング後に当時の所長さんからマックプログラムの説明を受け、ミーティングハンドブックをいただきました(このハンドブックは、今でも大事に使わせていただいています)。
ミーティングに参加させてもらい、プログラムについて丁寧に説明をいただきましたが、当時の私は「酒を止める気」など、全くありませんでしたので、「まぁ、ここに通うことはないな…」と思いながら、病院へ帰りました。

ところが、退院後の外来通院中、「マックプログラムを修了しなければ、復職の診断書を書かない。大体、マックプログラムをこなせないようでは、仕事に戻ってもまた失敗するでしょう。」と主治医に言われ、渋々ながら通所することにしました。 しかしまだ、病気への認識がほとんどなく、酒を止めるということに対しての緊張感が全くなかった私は、通所してからも失敗を繰り返していました。通所開始の面接以降、「やり直し面接」が5回くらいはあったような気がします。そして最後は、「あなたは、この施設ではもう無理ではないですか? 他の施設を紹介しましょう。」と担当職員さんから言われた時、初めて緊張感を持ったような気がします。そして、精神病院へ二度目の入院をし、解毒後に再度通所させてもらうことになりました。この回の通所では、それまでよりいくらか我慢がきいたのか、修了までこぎ着けることができ、約2年4か月の通所が終わりました。この時やっと、自分の目標達成されたような気がしました。ですから、当時の所長の「これからも、プログラムを続けていってください。」という言葉と、固い握手は上の空だったような気がします。そして、修了以降はさいたまマックに近づくこともなく、仕事を理由にAAミーティングをさぼり、お決まりの再飲酒コースをたどっていきました。

その後、約2年半の間苦しみました。この間の苦しみは、本当に自分以外分からないと思うと同時に、アルコールに対する無力さを自分に感じさせてくれました。そうして、もうどうにもならなくなった自分が行き着いたところは、「第7回さいたまマック感謝の集い」の会場でした。ここに行き着くまでの苦しみは、今思い出しても切なくなるくらいですが、私宛にいただいた、「第7回さいたまマック感謝の集い」への職員さんからお誘いのお手紙。懐かしい字でした。ようやくそこに、かすかな希望を見出すことができ、やっとの思いで、会場までたどり着いたことを思い出します。その場で、再度通所させていただくことを職員さんと約束しました。あれほど嫌がっていた「マックプログラム」にしがみつくしか、その時の自分には道が残っていなかったと思います。
この二度目(?)の通所は、一度目よりも楽でした。それは、自分は職員さんの提案を黙って受け入れることができ、それを実行するだけでよかったからです。そもそも、その頃の自分には、抵抗する力も残っていませんでしたが…。一度目の通所時は、「酒を止めるために、何故ポップコーンを売りに出たり、ステージで合唱したりしなきゃならないのか?俺には、そんな暇はないのに!」などと思っていましたが、二度目のプログラムでは、喜んで焼きそばを焼いている自分がいました。そんなところにも、以前の自分の間違った考えを見つけることができたような気がします。
そして、二度目の通所は約10か月で修了を迎えることができました。休職中であった仕事にも復職することができましたが、一度目の「早く修了したい」という気持ちとは違い、「本当に修了しても大丈夫なのか?」と、自分が不安だったことを思い出します。

こうして二度の通所で、私は「さいたまマックのプログラム」から、たくさんのものをいただきました。今こうして飲まずに生きていられる、生活ができていることは、「さいたまマックのプログラム」のおかげです。聞いた当初は「そんなことはない。」と思った主治医の言葉、「マックプログラムをこなせないようでは、仕事に戻ってもまた失敗するでしょう。」この言葉は事実であったと、今、認めざるを得ません。

順風満帆とはいかない日々ではありますが、日々の生活の中で不安が生じた時、さいたまマックへ出かけて行って、職員さんや仲間の顔を見ると、帰り道ではなぜか、それまであった不安や、もやもやとしたものが吹き飛んでいるから不思議です。私の人生で、さいたまマックに出会えたことは、本当に、新しい自分を見出すきっかけとなりました。素敵な職員さんとの出会い、多くの仲間との出会いが、“私の人生の宝“です。これらの出会いを経験しなかったら、私の人生はどんなにつまらない、くだらないものだったかと思います。これからも、自分が経験した「さいたまマックのプログラム」を多くの仲間に伝えたいですし、一緒に回復していく仲間が増えていってほしいと思っています。

修了生の声 男性 40代 通所期間 11か月

マックに通所するすこし前まで、仕事はコンサルティング会社の役員をしていました。
しかし、自分が引き起こしたお酒が関係するトラブルで取引先からの信用を失い会社の存亡にかかわることとなってしまいました。
そして、実質的には解任という形で職を失い、その後数か月間、わずかに手元に残ったなけなしの金で、家族を顧みず、酒浸りの日々でした。
しばらくすると、寒くもないのに、体の震えが止まらなくなりました。これはもしかしたらと、出て行った妻が置いて行ったパンフレット…さいたまなんとかの案内…がどこかに会ったはずと、家の中を這いつくばって探しましたが、見つからず。 確かどこかのハンバーガーチェーンのような名前だったような…そうださいたまマックだ!と、NTTの番号案内で調べて、出向きました。

「依存症かどうかは、わからないけど、あなた自身にお酒の問題があることはわかるわよね!」と、女性職員。

手にしたパンフレットには、月曜日から日曜日まで午前、午後、夜と「ミーティング」というプログラム。

「冗談でしょ、仕事だって休みあるのに、ないの?」という心の声
「あなら、お酒を飲むことに休みあった?」 …見透かされていた…。

以前から、何人かの知人から、酒のことに関して気を付けたほうがいいとアドバイスを繰り返し言われていたことを思い出したのは、マックに通所して、しばらくたってからでした。
その実感を得たのはミーティングででした。自分とおなじような経験を話している。ああ、自分だけではないんだなという気持ち。張りつめていた気持ちが楽になりました。
通所中のプログラムは、確かにミーティングと称するグループセラピーを中心としたプログラムでしたが、それ以外にも、卓球、ソフトボールなど体を動かすことや月に1回ある調理実習などのプログラムは、とても面白かったです。

なかでも、自分の印象に残っているのは、調理実習です。
当時の通所者は料理ができるひと、料理に関心があるひと、料理なんてしたことない人などいろいろでしたが、とにかくみんなで「協力」してつくっていく。
写真が偶然のこっていました。フライパンでパエリアをつくったんです。見栄えだけでなく、味ももちろんおいしかったですよ。みんな食べるなんて久しぶりですからね。家で、一人孤独にお酒を飲んでいた時の気持ちとは全然違います。

そして、通所も終わりのほうになると、働きながら通所するというステップに移っていきます。自分の場合はマックに通所前に仕事を失っているわけですから、新たに職を探すことになるわけです。いままでと同じような職につくと昔を思い出して飲んでしまうから、全く別の仕事に就いたほうがいいという意見もあるようですが、その点はケースバイケースですので、担当職員とよく相談して職業選択をしたほうがいいと思います。
幸いにして自分は、過去してた仕事に近い業務に就くことができ、平日は仕事そして、休みの日はマックに通所してという日々を過ごしたのち修了となりました。

修了後、しばらくして転職しました。
どうしてかというと、夜のミーティングにでる時間がとれなくなってしまったからです。
ミーティングに出なくなると、あっという間だという話を聞いたことがあります。

今は正社員として、県内で働いています。
飲んでいたころとは比べ物にならないぐらい安い給料ですが、比べ物にならないぐらい、自由にお金を使えます。あのころはすべてお酒に使っていたわけですから。
そして、実はもうひとつ仕事をしています。これは、修了後に資格を取ったんですかがその資格があるおかげで時々、アルバイトをしています。
飲まなくなったらその時間で資格の勉強もできるということも身に着けました。

「お酒で失った信用は確かに大きい、でもお酒を飲まなくなって新たに得られた信用もかなり大きい」というのを実感しながら毎日を過ごしています。お酒を飲まなくなったからって、それまでの困難すべてが解決するわけではありませんが、すくなくても、飲んでしまうよりは、解決することのほうが多いです。

自分はマックというところがあって救われました。お酒の問題は自分ひとりで戦っても勝ち目のないもの…よくわかりました。気づくのが遅ければ、加速度的に状況は悪化していく…そんなことも目の当たりにもしました。
「お酒が問題なのではないか」とすこしでも考えたことがあるのであれば、気軽な気持ちでマックにお電話してみてはどうですか?
たとえ、お酒の問題ではないとしても、それがわかっただけでも気持ちが楽になるかもしれませんしね。

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